目指すは"自分マニア"
目指すは"自分マニア"
鬱病と上手く付き合っていくには、まず自分をよく知ることが大切だなぁと常々思います。
自分って、
何が好きか?嫌いか?
得意な事、苦手な事は?
・・・このくらいの事は、ある程度把握しているとは思います。
さらに、
どんな事にストレスを感じるか?
どんな事が気持ちを落ち着かせてくれるか?
どんどん細かく分析していきます。
調子悪い時の自分。
調子良い時の自分。
どんな風になるのか?
意外と、こういった事をしっかり意識した事がないかもしれません。
でも意識して自分を観察してみると、不調になる時のちょっとした法則や、反対に好調になるためのキッカケが浮かび上がってきたりします。
自分自身でさえ調子が良くなると、悪い時の事を忘れちゃう
私の実体験としては、不調の時があっても後でその時の事を忘れてしまって、日記などを読み返しては「わ〜。こんなだったっけ」という事の繰り返し。
辛かった事を忘れるというのは、おそらく人間に備わった防御本能です。
いつまでもその記憶が鮮明では、辛くて仕方のない人生になってしまいます。
だから忘れちゃうのはひとまず良いとして・・・でも、あとで「こんなことがあったね」と過去を知る事は必要だと思います。
私は、勝手なもので「今が全て」なのです。
もっと辛かった事があるのに、今の辛さが全てのように感じてしまって、ウーウー唸りながら過ごしてしまう。
そんな時に、過去の日記を読んだりすると「そうだ。この時の辛さったらなかったな!今はまだ良くなったもんだ!!」と、今がどん底じゃない事に気づいて少し気がラクになったりします。
日記が面倒ならスマホにメモで
と、日記がどうのこうの書いていますが、私はそんなに普段日記をつけているわけではありません。
本当は、自分の調子なども把握するためには毎日書いた方が良いと思うのですが、なかなかマメではないので続かない。
ただ、調子の悪い時や変化があった時は、ちょっとでも良いからなるべくその記録を残しておくようにしています。
(出来れば調子がグンと上がった時も、そのキッカケやらを書いた方が良いです)
あとはもっとお気軽に、例えば電車に乗っていてすごいストレスを感じてしまった事とか、その時にとった自分の行動とか、ハッと気づいたらスマホにメモするクセをつけるのも良いと思います。
「職場で、こんな場面でテンパってしまう」とか、「会社帰りにここへ寄ると気持ちが切り替わる」とか。
そうだ。「こんなことをした後は、屍のようにグッタリしちゃう」もね!
色々と資料が集まってくれば、傾向と対策も出来てきます。
自分の事って、よくわかっているようで、実はあまりわかってない。
どんどん自分に目を向けて、自分マニアになったら良いんじゃないでしょうか。
自分の事がよくわかると、自分自身がラクになるだけでなく、お医者さんとのコミュニケーションや職場の人との関係も円滑になると思います。
私もマニアとしてはまだまだ。
がんばります。
それではまた!
障がいのある方への就労移行支援【パーソルチャレンジ・ミラトレ】
3.11
3.11
鬱病を患って殆ど無職状態になってから5年経った時、東日本大震災が起きました。
自分の住む地域ではさほど大きな被害もなく、東北に住む知人は皆無事だったので、本当に幸いでした。
しかし、時間の経過とともに明らかになる被害の大きさに心を痛め、被災した人に対して何も出来ないどころか、自分自身人並みの生活すら出来ていないのが情けなくて本当に辛かった。
(病気がそうさせてるのに、自分が悪いとしか思えないのがこの病の辛い所です)
それでもどうにかして自分に出来ることは?と色々考えて考えて、、やっと出た結論は、まず元気になって働くことが第一歩なんじゃないかと言う事でした。
今思えば、被災しながらも懸命に日々を過ごす人達の姿が私を奮起させてくれたんだと思います。
ちょうどその頃ようやく自分に合う薬と出会った事もあり、それから約1年かけて体調とメンタルを整えて、紆余曲折を経ながら悲願だった社会復帰も叶いました。
もちろん、社会復帰をして「めでたしめでたし!」とはいきません。
それなりに不調にもなるし、越えなければならないハードルも次々と出て来ます。
実際今現在も鬱病悪化で休職中だし、順調と言える状況ではありませんが、少しずつでも前進あるのみ。
精神論で乗り切れる病気ではありませんが、あの時の無力感と罪悪感があって今の自分が在るんだと改めて感じ、腐りそうになったらまたあの気持ちを思い出すことにします。
「3.11」
色々な想いが自分の中にありますが、あの時の恩返しがほんの少しでも自分なりに出来るように過ごしていきたいと改めて思います。
回顧録:「自殺」じゃなくて「病死」にしてくれ
回顧録:「自殺」じゃなくて「病死」にしてくれ
いきなり刺激的なタイトルでごめんなさい。
今日はこんな感じで、ちょっと刺激強めの内容になりそうです。
でもバッドエンドじゃないから安心して!
鬱病は、時に自分を死に追い込もうとします。
私は発病してからの数年間の暗黒期に、幾度となくその衝動に襲われました。
(今から10年ほど前のことです)
「いなくなりたい」「この辛さを終わりにしたい」「自分なんかいない方がいい」が常に根底にあって、それが何かの拍子にパンッと弾けた時、衝動(=行動)となってしまうのです。
幸い、私はその数々の衝動で死んでしまわずに今に至ります。
本当に心から「今絶対死のう!」と思っての行動なのか、正直なところ自分でも疑問ではあります。
そもそも、「死にたい」とは違うし。
「死にたい」じゃなくて、あくまでも「いなくなりたい」「終わりたい」なので、その目的のためには「死ぬ」が必須になってしまうというだけ。
家で、衝動的に台所に走り包丁を取りに行った事がありました。
そのまま母に取り押さえられて、それからの記憶は残っていません。
おそらく、ワーワー声をあげて泣いたでしょう。
でも本気で死ぬ気なら、母から包丁を奪い返して自分に刃を向けることだって出来たはず。
なんとも生ぬるさを感じます。笑
(結果オーライです)
またある時は、駅のホームで走って来る電車に向かって飛び込みたい衝動に駆られたけど、ホームドアがあったため、行動には移さず。
これだって、本気でやる気ならホームドアくらい飛び越えちゃえばいいのに。
やっぱり生ぬるいな!
(いいえ!これで良かったのです!!)
そしてつい先日、過去の母の日記が出てきて「え!そんなことあったかね??」という事が書いてありました。
日記によれば、ある夜私は自分のマフラーをドアノブにかけて、首をひっかけて死のうとしていた、と。
母はすかさずマフラーを取り上げ、一晩隣室で壁にピッタリくっついて寝ずに様子を伺っていたとのことでした。
そんなこと、したっけなぁ・・・。
あの頃は、母も相当大変だったと思います。
本当にごめんなさい。
こんな親不孝なことはない。
と、こんな感じで、隙あらば死にますぞ!みたいな時期がありました。
自分でもどこまで本気だったのかわかりません。
なんだかんだ言って、やり方が生ぬるくて未遂にすらなってない事ばかりだったと思うと、その衝動にかすかなブレーキをかけていたのかもしれません。
自転車の後輪のブレーキのような、ソフトなブレーキを。
その時の記憶がまたあやふやで、どれもハッキリと覚えていないのです。
なんだか、何かに憑かれてでもいるかのようです。
当時は、日記帳の一番最後のページに遺書を書いていました。
万が一、その衝動で死んでしまった時のために。
その遺書の中でとにかく強く訴えたのは、
”これは自殺ではありません。
鬱病という病による死です。
病死です。
周りの人にも「病気で死んだ」と伝えて下さい。
誰も責めないで下さい。
誰の責任でもありません。
病気がさせたのです。”
というような内容でした。
自分が死んだ後、苦しむであろう家族にとって「自殺」より「病死」の方が諦めがつくんじゃないかと言う、私の身勝手な考えからの訴えです。
苦しいですね。
こんな事を強く本気で考えていた毎日。
でも、それから何年も経った今、それなりに不調にもなるし大変な事はあるけど、笑いながら生きています。
多少辛くてもあの頃のように「いなくなりたい」とまで思う事はほぼ無くなりました。
少なくとも“隙あらば死にますぞ”と言う私ではなくなった。
一応、ひと山乗り越えられたのかな?と思います。
乗り越えられたのは、自分に関わってくれて支えてくれてた人たちの存在のおかげです。
大切な人を、ちゃんと大切にしよう。
もちろん、そのためには自分のことも大切に!ですね。
とにかく、生きてて良かった。
三寒四温
三寒四温
昨年秋から、鬱病の悪化で休職していますが、今日は用があって上司へメールをしました。
そのお返事に
“体調はどうですか?”
とあったので、
“良くなったと思えば、また不調に陥ったりと、波があります”
と答えました。
するとまた、
“三寒四温と言って、冬から春になるためには寒くなったり暖かくなったりを繰り返していく。好不調は自然の摂理です”
とお返事が。
なんだか今日は、上司からのこのメールに力を頂きました。
じんわりと温かいものを感じます。
本当に、三寒四温の言葉通り。
鬱病も一緒です。
「この頃せっかく良い感じだったのに、また今日は調子悪い・・」なんて、落ち込まなくて良い。
大丈夫。
大丈夫。
焦らず、無理せず、春を迎えようと思います。
コロナと私 (作文か!)
コロナと私 (作文か!)
近頃なんだか調子がいまひとつ。
1月の終わり頃から、ほんのり調子が上向いて来た感じがあって、よし!このまま行けそうだ!と思っていたのに、ここへきて情緒が不安定なのです。
毎朝(というか昼)目覚めた瞬間の気分は訳もなく最悪で、日中何もやる気が起きなくて焦燥感や不安感に襲われる。
時々家族との何気ないやりとりでイラッとしたり。
いちいち神経質な自分にも疲れています。
せっかく安定してきてたのに、原因はなんだろう?と。
思い当たることを整理して行き着いたこの不調の原因とは、まさかとは思ったけど、新型コロナウイルス(による騒動)の影響でした!
確かに今、私の頭の中の大部分はコロナになってしまっている。
特に、基礎疾患を持つ家族と同居しているのでその心配が大きい。
また、私は元々潔癖なところがかなりあるので、それも上乗せして神経質の度合いが自分でも操縦不能なくらい振り切っています。
色々と徹底したいのです。
でも、自分以外の殆どの人が、ここまでの感覚でないのは解っている。
どっちが正しいとかそういうことじゃなくて。
その感覚のズレがまたまたストレス!
本当に疲れる。自分に疲れる。
ウイルス感染拡大について「怖がり過ぎだ」という意見もチラホラ見かけては自分が非難されている気さえするけど、この不安を小さくしてくれるような情報がなかなか見当たりません。
追い討ちをかけるように、生活用品等の買い占めで売り場が空っぽになってるとか、マスクが高値で転売されてるとか、色々と愉快じゃないニュースが後を絶たないのもメンタルに来る。
こう自覚したからには、なるべくその手のニュースから離れます。
気になるからこそ色々ニュースをチェックしていたけど、それが自分のキャパを超えて気付かないうちにパニックに陥っていたようです。
この感じ、東日本大震災の頃の経験と少し似ている。(あの時の方がもっと激しかったけど)
ある意味、鬱病を患っていると日常的に自分自身がパニック状態なので、パニクっているのは自分だけだと思い込んでいました。
でも、今世の中は非常事態。
誰もが少なからずパニック状態なんだと、今更気づきました。
だから私がパニクるのはおかしな事ではないんですね。
となると、私と同様に不調に陥っている人がたくさんいるんじゃないか?
会社によっては時差通勤実施していたり、お子さんの休校だったりで、生活のリズムが変わる事も影響あるかもしれません。
ひとまず今は、ウイルス感染しないよう細心の注意を払いながら、ニュースは大丈夫な時に主要なものだけを見て、あとはなるべく自分の心地好いものに浸って、YouTubeの面白動画で笑って、好きな音楽聴きながら無になれる手仕事でもして、そうやってパニックだったところから平穏な所へ自分を引き戻して過ごそうと心がけます。
新型コロナウイルスも、まだまだ事態の収束まで時間がかかると思うので、ウイルスからもストレスからも身を守って、引き続きゆるゆる過ごそうと思います!
私の鬱病入門書
私の鬱病入門書
鬱病を発病したばかりの頃の私は、鬱に関する2冊の本にたくさん助けてもらいました。
「ツレがウツになりまして。」
まず最初に読んだのが「ツレがウツになりまして。」(細川 貂々・著)
ドラマや映画にもなっている有名な鬱病書です。
優しいタッチでユーモアにも溢れている漫画なので、本当に本当に読みやすく、苦悩するツレさんの姿に共感しながら「私だけじゃないんだ!」と何度も思わせてもらいました。
そして、著者である貂々さん(奥様)の正直な気持ちや温かくツレさんを支える様子も描かれていて、側に居る家族に「迷惑をかけてる」とひたすら罪悪感に苛まれる当事者にとっては沢山の救いがありました。
鬱病を抱える当事者だけでなく、そのご家族や支える周りの方にもたくさんのヒントをくれる一冊です。
まさに鬱病の入門書!という感じ。
「心が雨漏りする日には」
それから、もう一つは「心が雨漏りする日には」(中島らも・著)
こちらは、本当に偶然、ヴィレッジ・ヴァンガードでパッと見かけて出会った本です。
平積みされていたこの本の表紙の下の方に、小さな「くたばれ、うつ病!」という文字を見つけて思わず手に取ってしまいました。
中島らもさんと言えば、亡くなって久しい今もカリスマ的人気のあるお方。
私も昔から知ってはいたけれど、それまで彼の本は読んだ事がありませんでした。
大麻のイメージが強かったので。笑
そんならもさんが、双極性障害(躁鬱病)と闘っていたとはこの本を読むまで知りませんでした。
らもさんの症状と私の症状とは、さほど共通点がある感じでもないし「解る解る!」と共感できることもそんなに無い。
それでも引き込まれるのは、辛いことも何もかもネタにして面白くしちゃう、らもさんの感性が素敵だから。
鬱病は辛いし、様々な失敗もするし、周りにもたくさん迷惑をかけてしまう。
でもそんなこんなをネタにしなきゃ勿体無いとさえ思わせてくれるのです。
お陰で、私もある程度のことはネタにしてしまう癖がつきました。
フツウじゃない事が沢山起きますからね✨
いちいち深刻に捉えてたら辛いだけなので、その時は辛くても少しほとぼり冷めたらネタにする!これ結構大事だと思います。
そういう意味で、ぶっ飛んではいますがこの本を私の「鬱病入門書」としています。
おまけ
他にも書店では様々な鬱病入門書があります。
よく目にする「うつヌケ」(田中圭一・著)は、私も2年ほど前に読んだ事がありました。
こちらもとても読みやすい漫画で、著者を含めタイプの違うウツ経験者への取材をもとに、それぞれがどうやってウツを克服していったのかが描かれています。
同じ鬱病でも、人によって症状や対処法は様々なのもよく分かるし、具体的な対処法なども紹介されているので参考になるのではないでしょうか。
おすすめです。
たくさん鬱病に関する本が出ていますが、こうやって改めて思い返すと私は「入門書」として今回ご紹介した初めの2冊しか主に読んでいませんでした。
でも、ピンポイントで自分にとって良い入門書に出会えたという事だと思います。
細川 貂々さんとツレさん、中島らもさんに感謝です!!
くたばれ、うつ病!
カルディの知られざる力??
カルディの知られざる力??
見つけたら思わず入ってしまうお店。
それは、カルディ✨
入口でコーヒーを頂けるから、、って言う事も大きな理由ではあるけれど、それだけじゃなくて、何というかあのお店の中にいる時の心地良さ。
店内に漂うコーヒーの香りと、聞こえて来るラテンミュージックと、魅力的な商品の数々。
店員のおねえさん達もみんな優しくて、安心してお店を楽しめます。
そんなわけで、出先でカルディを見つけたら、用事が無くてもフラッと入ってしまうのです。
私は、過去に短い期間でしたが、自分と同じように精神障害を持つ方々を支援するお仕事をしていた事があります。
その時に、その施設の利用者さん達と「どんな事をしてると、気持ちがホッとしたり、元気になったりする?」と言う事をアレコレ話しました。
そこである方が「カルディに行く」と言っていて、周りから「解るー」と賛同の声が上がっていました。
もちろん私もその中のひとり。
しかし、何故なんでしょう。
カルディには一体どんな秘密があるのだろう??
私の単純な推測では、やはりコーヒーの香による癒し効果と、ラテンミュージックの“気楽な明るさ”がその場の空気と暗い気分を少し持ち上げてくれてるのではないか、と。
視界に入る、陳列された商品もワクワクするようなものが多いし、全く負の要素が無い✨
出先でちょっと気分転換や気分の底上げをしたいなと思ったら、カルディに行ってみると良いかもしれません。
お店を出るときに、ほんのちょっとでも足取りが軽くなっていたら、効果あり!ってことで。
それではまた☆