ゆみずむ

鬱病のこと。色んなこと。好き勝手に、自分の考え・感性でつらつらと。気分で書いているので、各記事の文体等統一されていません。ご了承ください。おてやわらかに。

不甲斐ない私でも、誰かの役に立てるんだ

 

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不甲斐ない私でも、誰かの役に立てるんだ

闘ったよね。2020年

本当に2020年という年は、幾度"希死念慮"と闘っただろう。

キツイ、キツイ、苦しい一年だった。

 

だけど、ちゃんと今、2021年を生きています。

負けてないぞ。頑張ってるぞ。

 

2020年最後の希死念慮

昨年の10月の終わりに、私はまた"希死念慮"の奴と対峙することになりました。

前回の記事(あれから随分サボりましたな)を書いた直ぐ後の出来事です。

 

「終わりにしたい」「(私なんか)居なくなれ!居なくなれ!!」「死ね!」。

そんな言葉を何かに言わされながら、いつものように涙を流して布団に潜って、苦しい時間をただただ過ごす。

 

死んではいけないのを知っているし、これは単なる病気の症状なのもわかっているから、負けないように耐える。

耐えるしかない。

 

私を襲う希死念慮は、ひとまず何日も続く事はなく、数時間〜一晩くらい経てば消えていきます。

ただ、翌日も後遺症のようにずっしり重い気持ちは残っていて、更に「居なくなりたい」とか口に出してしまった事の家族に対する罪悪感で立ち直るには至りません。

 

「死にたい」の次の日

そんな"希死念慮後遺症"の夜、うちの電話が鳴りました。

お隣のおばちゃんが、「鼻血が止まらない」と助けを求める電話でした。

 

よく聞くと、既に一時間は出続けているとのことで、いつも気丈なおばちゃんでも、さすがに不安になってしまったようです。(そりゃ誰でも不安になります)

 

我が家とお隣さんは、私が生まれる前からずっと家族のような付き合いで、特に私たち家族はいつも様々な場面でお隣さんに助けてもらってきました。

 

助けてもらうばっかりだったけど、今回はこちらがお助けする番。

 

ついさっきまでフニャフニャだった私も、突如シャキーンとして、夜間救急に電話して(普段電話とか無理なのにな)、サッと40秒くらいで支度して、おばちゃんに付き添い、先ほど電話した夜間救急へタクシーで向かいました。

何なんでしょう、こういう時の切り替わりって・・・。

 

こんな時、ただ付き添うことしか出来ないので、耳鼻科のカッコイイ椅子に座って痛そうな処置を受けるおばちゃんの後ろで、ひたすら「がんばれー」と心の中で応援していました。

そしてお医者さんの説明をよく聞いて、メモって、出来ることをやるのみ。

 

お医者さん曰く、今回の鼻血に関して特に心配な要素は無く、この先頻繁に出るようならまた耳鼻科を受診すれば良い、と。

 

痛い処置の甲斐あって、鼻血もおさまり、ホッとして帰路につきました。

 

助けてもらったのは私だった

ああいう時の、急にシャキーンとシッカリ出来る謎。

普段のどんよりフニャフニャは嘘なのか?

わたしゃ仮病なのか?

結局精神論か!?(精神論、大嫌いです)

 

なんて色々考えても、謎は深まるし、私は何も嘘なんてついてないし常に精一杯です。

 

ただ一つ確かなことは、昨日死ななくて良かった!ということ。

 

死ななかったおかげで、

不安を抱えたおばちゃんの側に居られたこと。

ほんの少しでも、何か役に立てたこと。

それがとても自分にとって嬉しかったこと。

 

大袈裟なようですが、本当にこういうのって「生きがい」なんだなと思いました。

「生きがい」なんて、小さなことでも良いじゃんね。

こういうのを、ちょっとずつ積み重ねていけば、それが私の強さになる。

 

ささやかな「生きがい」を思い出させてくれたおばちゃんに、助けたつもりでいた私が助けられました。

 

おばちゃん、ありがとうね。

 

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“元気そうに見えちゃう”問題

 

 "元気そうに見えちゃう"問題

 

これ、鬱病あるあるだと思う。

 

久しぶりに誰かに会った時、必ずと言っていいほど「元気そうじゃん」とか「元気そうで良かった」とか、言われます。

そんな時、いつも“しまった!”と言う気分になる。笑

 

相手は、もちろん思ったままを言っただけで、全然悪くないのです。

だって、元気そうに見えるんだもんね。

鬱病だ”って聞いて心配してたのに、目の前で平気な顔してるんだもんね。

だから「元気そう」って思うのは当然です。

 

でもこっちとしては、勝手にその一言にグサっと来てしまったりして。

 

どう振る舞えば良いのかわからない

 

誰かに会う時、実はめちゃくちゃムリしてフツウを装ってます。

 

と言うより、家から一歩出た瞬間から、本来の具合悪い振る舞い(なんか変な表現だな)が出来なくなる。

 

うーん、どう言い表せばよいのだろう。

 

とにかく、側から見れば“フツウ”に見えるように振る舞ってしまうのです。

家では屍のようになってるのに・・・涙。

 

元々、私は明るく元気に見える方だと思います。(ただの思い込みだったら笑う)

 

こんなに孤独を愛し、超絶ネガティブなのに、つい面白いものを探す癖と隙あらばふざけてしまう性分のせいか、周りからはそんな風に見えているようです。

 

私が「鬱病なんですよ」と言うと、みんなビックリします。

 

これはおそらく、多くの鬱病患者さんが同じような経験をしてると思います。

 

鬱病=暗い”じゃないから。

 

「は?お前が⁉︎」と言う反応はしょっちゅうだし、「鬱病のイメージが変わった」と言われることもあります。

 

 何が問題なのか?

 

そりゃウソでも元気そうに見えるのは結構な事じゃないか!って健康な人は思うかもしれません。

 

しかし、元気そうに見えてるせいで、ただでさえ無理してるところに更に無理せざるを得ない状況になる事が多々あります。

 

私が会社へ行けなくなるほど鬱病を悪化させてしまったのには、こう言った背景も大きく絡んでると思います。

(一応、鬱病はオープンにしてて障害者雇用なんですけども)

 

あと、今の私(鬱病悪化で休職中)の場合だと、どこかでバッタリ会社の人に会ったり見かけられたりして「元気そうじゃん。もう復帰できるじゃん。」とか思われたりしたら、なんか自分がズル休みしてるみたいでどうしよう!とかね。

 

「どーでもいいよ、そんなの」って思えるハートが欲しい。

 

もう、いっその事「元気そうに見えてるけど実はメチャクチャ無理してんです(涙)」って書いたTシャツでも着てようか。

でももうTシャツじゃ寒いしな・・・。

 この"元気そうに見えちゃう"問題、本当にどうしたもんかなぁ・・と思いながら生きています。 

 

それではまた。

 

パーソルチャレンジ・ミラトレ

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思い出「眠剤後の奇行」

 

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思い出「眠剤後の奇行」

 

これまた物騒なタイトルでごめんなさい。

明るい失敗談だと思って読んでくだされば、まったく大丈夫な内容です。笑

 

かれこれ10年ほど前でしょうか、鬱病になって働けなくなり、毎日鬱々と苦しみながら家の中で過ごしていた頃のお話です。(あ、今も同じ状況か!笑)

 

この頃は、もう普通に眠るということが出来なくなっていて、当然のことながら処方される眠剤に助けてもらっていました。

(今現在もまた眠剤ナシでは眠れなくなっていますが、この当時と今とはちょっと違うと感じることが多いので、"今"の眠剤・睡眠事情はまた別の時に書きたいと思っています。今回の記事は、あくまでも10年ほど前のお話です)

 

眠剤飲んで豹変(?)する

夜、あとはもう寝るだけ!という時に眠剤を飲みます。

そして眠剤が効いてくると、世界がほわ〜んと柔らかくなります。

心の中の不安も、ほわ〜んとうやむやになって、安心感さえ出てきます。

 

その感じで入眠!

と、行けば良いのですが、私の場合、せっかく気持ちが穏やかになったのに寝るなんて勿体ない!となってしまうことがあるのです。

薬による仮初めの安心感・幸福感を楽しみたい。

 

だって日中ずーーーっと鬱々と戦ってんだ!そんくらい良いだろ!!

ってことで、一度は布団に入ったものの「これからが良い時間だ!」と言わんばかりに布団を勢い良くはいで、颯爽と(実際は千鳥足)台所へ向かいます。

 

眠剤の後のスーパーカップは無敵

で、よくやっていたのは、そのまま冷凍庫をあけて、アイスを食べる。

特に「エッセン スーパーカップ超バニラ」が最高だった。

 

なぜなのでしょう?

眠剤で気持ち良くなった時に食べるアイスほど美味しいものはない。

 

そして翌朝、大抵の場合その事は忘れています。

眠剤の後の事というのは、忘れてしまう事が多いのです。※薬の種類によります

 

余談ですが、私が編み出したスーパーカップを1番美味しく食べる方法があります。

それについてはいつかお話ししますね。

 

 

深夜の血みどろクッキング

“夜中にアイスを食べる”くらいなら、まだ可愛いもんです。

眠剤で気分を良くして何故か夜中に料理をする時期もありました。

食べるのが目的ではなく、作る事が目的で。

 

もともと料理のレパートリーは少ない私ですが、眠剤飲んで夜な夜なこしらえていたのは主にポタージュスープでした。

しかもわりと丁寧に、圧力鍋やフードプロセッサーも使って。

 

そして、何が「血みどろ」かと言うと、ジャガイモや人参をピーラーで皮むきしている時、眠剤で色々と感覚が麻痺している上に注意力も無くなっているため、かなり大胆な手捌きで自分の手を傷つけていたのです。

 

それでも、何か謎の使命感にでも駆られたようにサクサク、ザックザク、ポタージュ作りを進めていました。

 

スープが完成すると満足して眠り、翌朝目覚めて手が傷だらけで痛くて初めて「あ、昨日またスープ作ったんだ‥‥」となるのです。

(先程も書きましたが、眠剤の後の行動は忘れがちですから)

 

 

こうなると、肝心な目的である「眠る」という事がないがしろにされてますね。(反省)

もちろん、当時の自分も「これはいかん!」という自覚はちゃんとあったのですが、眠剤を飲むと自制心が効きづらくなってしまって・・・。

 

そんなわけで、眠剤を飲んでベッドに入ったら部屋から出ないよう、ドアに「すぐにベッドに戻る。徘徊しない!」と自分で張り紙をしていました。

(張り紙の効力は、日によって有ったり無かったり。笑)

 

本当は他にも色々あります。

今となれば全て笑っちゃうようなことばかりですが、そろそろ長くなって来たので、今回はこの辺で。

 

また気が向いたら、他のエピソードも書かせて下さい。

 

あと、この私が言うのもなんですが・・・

眠剤飲んだら布団に入ってジッとしてましょう!!

 

 

それではまた。

みなさま、よい夢を!

 

 

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明日の予定は、生きる。

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明日の予定は、生きる。

 

希死念慮との闘い

 参りました。

約10年ぶりの暗黒期に入ってしまってます。

ずーっと鳴りを潜めていた“希死念慮”の奴が、今年に入って、、特に5月から8月にかけては結構頻発して現れました。

 

根底には絶望があって、常に気持ちは辛くて苦しい。

体は鉛のように重くて力も気力も出せず、耳鳴りは煩いし頭も痛い。

 

常に闘ってる。

あらゆるものと闘ってる。

穏やかな気持ちでいられる時間なんて1秒もない。

 

どんどんすり減っていく一方です。

 

 

こうなると、さすがに終わりにしたいという気持ちが出てきてしまいます。

そんな時に何かの拍子で、自分を終わらそうと強い衝動が起きます。

これが本当に辛い。

死んじゃいけないって解っているから。

「死んじゃいけない」と必死に自分に言い聞かせながら、心の底から突き上げるようなどす黒い感情を抑え込むのはかなりエネルギーを消耗します。

 

布団に潜って、涙を流しながら自分と闘うのはトラウマになるほど辛かった!

 

それだけに、7月の芸能界での悲しいニュースは相当のダメージでした。

気持ちが引っ張られてしまう感じで。

 

ここ最近、ようやく希死念慮は私から少し離れて行ってる感じですが、「生」「死」「命」そういう事にすごく敏感になっています。

 

 

何気無い会話から

 

ある夜、母が不意に私に言いました。

明日の予定は?

 

休職中で毎日家に引きこもっていて、「予定」と呼べるようなことなんて無いのですが、本当に何気ない母の問いでした。

それに対してひとつ言えた言葉。

生きる。

でした。

 

 母は、そうだね!と納得した様子。

 

今日も、明日も、これからも、予定は「生きる」で良いや・・・。

それ以上もそれ以下もなく。

 

たとえ苦しくても、生きてやろうと思います。

 

それではまた。

 

 

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雨だからしょうがない

 

 

 

 

紫陽花

 

雨だからしょうがない

私は基本的に雨が好きです。

雨の匂いとか、雨音とか、あと「雨だからしょうがない」的カメハメハ大王思想が心地好いです。

ただ、雨の日に大事な用とか、沢山歩かなきゃならないとか、楽しみにしてたものが中止になるとか、そういう時は別ですが。

 

怠い、何もやる気が起きない、頭が痛い、気持ちが沈む・・・全部「雨だからね」で済ましてしまえば良い。

 

私は高校卒業後に、とある素敵な美術学校に通っていました。

ある雨の日、学校に行ってみると、ほんの数人しか教室に居ませんでした。

後から入ってきた先生は「あれっ?今日(出席人数)少ないね!・・あ、雨だからか。」とギャグでも何でもなく、普通に納得していました。

 

雨だと休む。

気分が乗らなくても休む。

学校へ行く途中気が変わって映画を観に行っちゃう。

学校へ行く途中誰かに会ってそのまま遊びに行っちゃう。

エトセトラエトセトラ。

 

そういう空気が漂う学校でした。

当時の校長先生も自ら「それはそれで良いじゃない?」なんて仰ってたくらいです。

(勿論しっかり単位は取らないと進級・卒業は出来ないですよ)

 

発病前にそんな時代を過ごしたせいか、今調子が悪くて「何も頑張れない!」と罪悪感やらに苛まれていても、天気が雨だったら「しょうがない」って、ほんの少し楽に思えるんですね。

 

雨の中外でお仕事をされている方々や大変な思いをされている皆さまには本当に申し訳ないのですが、今日も私は「雨だからしょうがない」って過ごさせて頂きます。

 

それではまた。

 

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コロナで予定もメンタルも狂っちゃった話

 

 

 

ゼラニウム

コロナで予定もメンタルも狂っちゃった話

 

どうでも良いんですが、アベノマスクがまだ来ません。(6/3現在)

名前順だとウチは「わ」行なので、きっとそのせいで最後の方になっちゃうんだ。 

と、納得することにしました。(絶対そんな理由じゃないけど)

 

それはそうと、本題に入ります。

鬱病の悪化により、昨年の9月下旬から休職しています。

しかし、なかなか順調にはいかず、山あり谷あり(というか殆ど谷・谷・谷)の日々を送ってきました。

 

そして今年の2月に入った頃、ようやく調子が上向き始めました。

この調子で少しずつ復職のためにリハビリがてら出かけたりしながら良いサイクルを作って、3月はリハビリ出勤して4月頃に復帰!というのが自分の中での目標になりました。

ところが、ご存知のように時を同じくして「新型コロナウイルス」なるものが蔓延し始めていたのです。

 

せっかく上向いた調子が、、、コロナに対する不安でへし折られ、リハビリのための外出も感染拡大を避けるため2月の時点で諦めました。

この状況で、当然リハビリ出勤とかも言ってられなくなり、悔しいけどメンタルもどんどんやられていきます。

子供の頃から大好きな志村けんさんがコロナで命を奪われたことも大きなダメージでした。

これほんと辛い。

 

やがて、緊急事態宣言が出て(個人的にはもっと早く!と思いました)会社も休業に入るとのこと。

どちらにしても、私もまだ復帰出来るような状態ではないので、自分の体調を整えることしか出来ません。

 

例えば、今私がシャキーンと急に揺るぎなく元気になって「復帰して良いよ!」と主治医に言われたとします。

でも会社はまだ一部休業中だし、そうでないとしてもコロナは全く落ち着く気配は無いので、会社に復帰してもコロナに怯えて神経質MAXの状態で通勤・勤務していたら、またすぐに不調の奈落へ転がり落ちるのは目に見えています。

こうなると、もう目指すべきものが分からなくなってくる・・・。

(いや、まず体調安定させる事を目指せ!)

 

何というか、照準が狂っております。今。

 

そしてメンタルも狂いに狂った5月でした。

ある日とうとう錯乱して、ラジカセ(使ってないやつ)ぶん投げたり、自分の部屋でひと暴れして、落ち着いてから見たら自分の体の色んな所にアザや腫れをこしらえてたと言う、久々のヤンチャをしてしまいました。

もちろん強い希死念慮も出てきましたし。

完全なるダークサイド。本当にこんなに酷いのは10年ぶりくらいです。

正気を取り戻してから「(使ってない)ラジカセはぶん投げたのに、MacBookには一切手を出さなかったあたり、実は冷静だったのかな」なんて母と笑いました。(笑えるレベルで良かったです)

今はなんとか落ち着いて、物を壊したり自分をぶっ叩いたりしないで、おとなしく鬱々そわそわ過ごしています。

 

緊急事態宣言は解除されましたが、早くも各地で密が増えていることでしょう。

世間の気の緩みみたいなのがとても恐ろしいです。

 

心の底からゆるゆるな安心感で、いろんなことが楽しめるようになる日を待ち望んでいます。

 

今日も不安を抱えたまま、まとまりなく終わります。

疫病退散!鬱病退散!

 

それではまた。

 

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目指すは"自分マニア"

 

 

 

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目指すは"自分マニア"

 鬱病と上手く付き合っていくには、まず自分をよく知ることが大切だなぁと常々思います。

 

自分って、

何が好きか?嫌いか?

得意な事、苦手な事は?

・・・このくらいの事は、ある程度把握しているとは思います。

 

さらに、

どんな事にストレスを感じるか?

どんな事が気持ちを落ち着かせてくれるか?

 

どんどん細かく分析していきます。

 

調子悪い時の自分。

調子良い時の自分。

どんな風になるのか?

 

意外と、こういった事をしっかり意識した事がないかもしれません。

 

でも意識して自分を観察してみると、不調になる時のちょっとした法則や、反対に好調になるためのキッカケが浮かび上がってきたりします。

 

自分自身でさえ調子が良くなると、悪い時の事を忘れちゃう

私の実体験としては、不調の時があっても後でその時の事を忘れてしまって、日記などを読み返しては「わ〜。こんなだったっけ」という事の繰り返し。

辛かった事を忘れるというのは、おそらく人間に備わった防御本能です。

いつまでもその記憶が鮮明では、辛くて仕方のない人生になってしまいます。

だから忘れちゃうのはひとまず良いとして・・・でも、あとで「こんなことがあったね」と過去を知る事は必要だと思います。

 

私は、勝手なもので「今が全て」なのです。

もっと辛かった事があるのに、今の辛さが全てのように感じてしまって、ウーウー唸りながら過ごしてしまう。

そんな時に、過去の日記を読んだりすると「そうだ。この時の辛さったらなかったな!今はまだ良くなったもんだ!!」と、今がどん底じゃない事に気づいて少し気がラクなったりします。

 

日記が面倒ならスマホにメモで

と、日記がどうのこうの書いていますが、私はそんなに普段日記をつけているわけではありません。

 

本当は、自分の調子なども把握するためには毎日書いた方が良いと思うのですが、なかなかマメではないので続かない。

 

ただ、調子の悪い時や変化があった時は、ちょっとでも良いからなるべくその記録を残しておくようにしています。

(出来れば調子がグンと上がった時も、そのキッカケやらを書いた方が良いです)

 

あとはもっとお気軽に、例えば電車に乗っていてすごいストレスを感じてしまった事とか、その時にとった自分の行動とか、ハッと気づいたらスマホにメモするクセをつけるのも良いと思います。

「職場で、こんな場面でテンパってしまう」とか、「会社帰りにここへ寄ると気持ちが切り替わる」とか。

そうだ。「こんなことをした後は、屍のようにグッタリしちゃう」もね! 

 

色々と資料が集まってくれば、傾向と対策も出来てきます。

 

自分の事って、よくわかっているようで、実はあまりわかってない。

どんどん自分に目を向けて、自分マニアになったら良いんじゃないでしょうか。

 

自分の事がよくわかると、自分自身がラクになるだけでなく、お医者さんとのコミュニケーションや職場の人との関係も円滑になると思います。

 

私もマニアとしてはまだまだ。

がんばります。

 

それではまた!

 

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