回顧録:「自殺」じゃなくて「病死」にしてくれ
いきなり刺激的なタイトルでごめんなさい。
今日はこんな感じで、ちょっと刺激強めの内容になりそうです。
でもバッドエンドじゃないから安心して!
鬱病は、時に自分を死に追い込もうとします。
私は発病してからの数年間の暗黒期に、幾度となくその衝動に襲われました。
(今から10年ほど前のことです)
「いなくなりたい」「この辛さを終わりにしたい」「自分なんかいない方がいい」が常に根底にあって、それが何かの拍子にパンッと弾けた時、衝動(=行動)となってしまうのです。
幸い、私はその数々の衝動で死んでしまわずに今に至ります。
本当に心から「今絶対死のう!」と思っての行動なのか、正直なところ自分でも疑問ではあります。
そもそも、「死にたい」とは違うし。
「死にたい」じゃなくて、あくまでも「いなくなりたい」「終わりたい」なので、その目的のためには「死ぬ」が必須になってしまうというだけ。
家で、衝動的に台所に走り包丁を取りに行った事がありました。
そのまま母に取り押さえられて、それからの記憶は残っていません。
おそらく、ワーワー声をあげて泣いたでしょう。
でも本気で死ぬ気なら、母から包丁を奪い返して自分に刃を向けることだって出来たはず。
なんとも生ぬるさを感じます。笑
(結果オーライです)
またある時は、駅のホームで走って来る電車に向かって飛び込みたい衝動に駆られたけど、ホームドアがあったため、行動には移さず。
これだって、本気でやる気ならホームドアくらい飛び越えちゃえばいいのに。
やっぱり生ぬるいな!
(いいえ!これで良かったのです!!)
そしてつい先日、過去の母の日記が出てきて「え!そんなことあったかね??」という事が書いてありました。
日記によれば、ある夜私は自分のマフラーをドアノブにかけて、首をひっかけて死のうとしていた、と。
母はすかさずマフラーを取り上げ、一晩隣室で壁にピッタリくっついて寝ずに様子を伺っていたとのことでした。
そんなこと、したっけなぁ・・・。
あの頃は、母も相当大変だったと思います。
本当にごめんなさい。
こんな親不孝なことはない。
と、こんな感じで、隙あらば死にますぞ!みたいな時期がありました。
自分でもどこまで本気だったのかわかりません。
なんだかんだ言って、やり方が生ぬるくて未遂にすらなってない事ばかりだったと思うと、その衝動にかすかなブレーキをかけていたのかもしれません。
自転車の後輪のブレーキのような、ソフトなブレーキを。
その時の記憶がまたあやふやで、どれもハッキリと覚えていないのです。
なんだか、何かに憑かれてでもいるかのようです。
当時は、日記帳の一番最後のページに遺書を書いていました。
万が一、その衝動で死んでしまった時のために。
その遺書の中でとにかく強く訴えたのは、
”これは自殺ではありません。
鬱病という病による死です。
病死です。
周りの人にも「病気で死んだ」と伝えて下さい。
誰も責めないで下さい。
誰の責任でもありません。
病気がさせたのです。”
というような内容でした。
自分が死んだ後、苦しむであろう家族にとって「自殺」より「病死」の方が諦めがつくんじゃないかと言う、私の身勝手な考えからの訴えです。
苦しいですね。
こんな事を強く本気で考えていた毎日。
でも、それから何年も経った今、それなりに不調にもなるし大変な事はあるけど、笑いながら生きています。
多少辛くてもあの頃のように「いなくなりたい」とまで思う事はほぼ無くなりました。
少なくとも“隙あらば死にますぞ”と言う私ではなくなった。
一応、ひと山乗り越えられたのかな?と思います。
乗り越えられたのは、自分に関わってくれて支えてくれてた人たちの存在のおかげです。
大切な人を、ちゃんと大切にしよう。
もちろん、そのためには自分のことも大切に!ですね。
とにかく、生きてて良かった。
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