こじらせ年末年始 〜罪悪感の年末編〜
“みんな忙しいのに申し訳ない”の呪縛
まず年末は忙しい。
12月を「師走」と呼ぶ由来は“お坊さんが走り回るほど忙しい”ことから来ている、、という訳で世の中全体がとても忙しない。
更に大掃除だ年賀状だアレやコレやと今年のうちに「やるべきこと」が次々と覆い被さってきて・・・。
そんな時に、鬱病悪化中の私。
「鬱病の年末はこんなに辛かったかのぅ?」と、のたうち回る。
一つのアクションにつき、もの凄い気合いとエネルギーを出して挑む。
おそらく、健康な時の自分ならば1日もかからずサクッと終わらせられる様な作業も今の私には頑張って頑張って、やっと一週間くらいかけないと出来ない事なんてごく当たり前。
ならば、早めに取りかかれば良い・・・と言うのは健康な人の理屈だからな!!
ていうか取りかかるまでが一番大変なんだぞ!!!
SNSが突き刺さる
そんなこんなで、窮地に立たされているところに、うっかりSNSを見てしまったりすると、お仕事や家事を頑張ってる皆さんの投稿にズーンッ!
(頑張ってる人がたくさん居るのに何も出来ていない自分に罪悪感)
今年一年こんなに頑張ったよ!充実してます(キラキラ)な投稿にドーンッ!
(他人の充実っぷりが眩しすぎて目がくらむ)
悪く思わないでください。これらは鬱病の典型的な症状なのです。
こういう時は、SNSから一旦離れるのが肝心。
見てしまう自分の間違い。
だから頑張ってて充実している皆さんは、存分にキラキラ投稿してください。
もちろん元気が戻ったらイイネしますとも!
私だって調子良い時は、頑張ったアピールもキラキラ投稿もガンガンしてます。
お花さんたち、ありがとう✨
話を戻すと、この期限有りの「やるべきこと」が私を苦しめる。
それなのに、「別に今やらんでも良いこと」は出来たりする。
年末の大掃除も年賀状も全く手をつけていない時に、お花を植えたりね。
「お花植えてる場合かーい!」と己に突っ込みながら、スコップ片手に土と戯れた。
しかしあの時の私には大掃除よりも年賀状よりも、まずお花を植えて、綺麗なお花に元気を貰うことが大切だったということにしてる。
お花は大事。ありがとう、綺麗なお花さんたち。
そんなお花さんたちのお陰か、年賀状は年内になんとか頑張れました。
カラヤン指揮による第九を聴きながら、モクモクと、もちろん送る相手を想いつつ。
出だしが遅かったので元旦にはお届け出来なかったけど・・・。
年賀状の投函も完了し、大晦日にもなれば、もうどうにでもなれ!と諦めもついて、年越しの瞬間はいつもどおり寒いベランダでオリオン座を眺めながら除夜の汽笛に耳を澄ます。(除夜の汽笛=横浜港に停泊する全ての船が汽笛を鳴らすのです)
2019年は鬱病の悪化や休職はあれど、こうして平穏に年を越せることに感謝しながら迎えた2020年。
正直言って、2019年はかなり苦しかったので、2020年はその苦しみからの脱却を!
かかって来い!2020年!!
(なんて元気はありませんけどね)
つづく。